少年法の改正について(3/27)
今回はちょっと古い話になってしまいますが,少年法の改正について書きます。と言うよりも,昨年(1998年)10月に大学のゼミに入る際の課題論文として書いたものをちょっとだけ修正して掲載しただけなんです。(苦笑)手抜きだなんて言わないで下さい。一応ボルなりに忙しいんですから。 (^_^; アハハ…
問題 少年法の改正につき,被害者を考慮しながら,現行法の維持か改正のいずれかの立場に立ち,
以下の各論点につき論ぜよ。
@検察官関与 A刑罰対象年齢 B少年審判の公開
一、本文を考察するにあたり,まず結論を述べる。現行少年法は改正すべきであると考える。以下結論に至った理由を述べる。
二、現行少年法において検察が少年事件に関わることが出来るのは,裁判所への犯罪少年送致(少年法第8条@),重大な事件の逆送(第20条)の2点だけである。私は,少年事件への検察官関与を認めるべきだと考える。理由として以下の3つの理由を挙げる。
まず第一に,少年が非行事実を争う際に,現状では付添人が当事者的活動を活発に行い,その結果として裁判官が反対尋問などの検察官的役割を担っていることである。これでは常に中立・公平であるはずの裁判官が検察的考えになることは疑う余地がない。
第二に少年事件の審判に検察が関与することの出来ない現行制度のもとでは,非行事実の審理の際に,事件送致を行った検察官が審判における争点に焦点を合わせることがままならず,補充捜査を行っているものの,適正かつ円滑な審判運営が阻害されている点である。
第三は実体的真実主義の観点から,事実認定を現行法のように裁判官に任せるのは無理があると考える。非行のない少年に対し「非行あり」と判断するのを防ぐのはもちろんのこと,非行のある少年を事実認定の誤りから「無罪」としてしまうことが少年の教育・保護に繋がるとは考えられないからである。
これらの理由より,私は少年事件の審判において,検察官の関与を認め対審制にするべきだと考える。また,非行なし審判不開始決定や非行なし不処分決定の際には抗告権も認めるべきである。なお,検察官関与を認める場合,起訴状一本主義・必要的国選弁護人制度の導入や,適正手続の保証・一事不再理効を認めるなどといった制度改革も同時に必要になると考える。
三、次に刑罰対象年齢も引き下げを行ってよいと考える。現行少年法のように少年を特別な取り扱いの対象とする限り,どの様な改正を行ったとしても少年法に対する批判を避けることは出来まい。そしてその批判は昨年の神戸事件におけると同様に,大人と同等の処罰を求める形として現れるであろう。故に「少年」というカテゴリーの基準となる年齢を引き下げることにより,「少年」のカテゴリーに含まれる少年を「成人」へと分類し直すことが必要であると考える。「少年法改正に関する中間取りまとめ」で,少年法の下限については,現行少年法で16歳以上とされている検察官送致(逆送)年齢を刑法における刑事処分の限界である14歳へ引き下げることの当否が,同じく上限については選挙人等の成人年齢との関わりを考慮して20歳未満から18歳未満に引き下げることの当否を検討すべきことであるとしている。確かに少年審判は少年の保護・育成を第一にするものであるが,事件の真相究明も重要な役割である。非行事実を適正に認定することで,少年は自分の処分を十分に納得し,それにより保護処分の教育的効果が期待できるのではなかろうか。また,昨年の神戸事件のような重大事件において,犯人が16歳以下であるというだけで,検察官送致もできないとなると,社会的な納得が得られない。重大事件に備えて逆送はできるようにしておくべきだと考える。また,この点重大事件の基準が問われるものと思われるが,法務省試案のように,「三年を超える懲役・禁固の罪に当たる非行」に限定すれば問題は少ないと思われる。
四、最後に審判の公開については,一部公開してもよいと考える。現行法(少年法)22条2項によると,審判は非公開とされている。しかし,被害者や被害者の遺族の立場に立てば,一切の情報が非公開とされるのは納得のいかないことであろう。かつていじめにより生徒が死亡した際に,民事訴訟という形式を借りて事実の究明を試みたのがその現れといえよう。また,事実の概要が明らかにされない限り,我々一般人は同様な事件を未然に防ぐための術を考えることもできない。つまり第2,第3の同様な事件が起こる危険性を孕んでいるのである。しかし,審判の非公開が当事者たちに利益をもたらしていることも事実である。仮に審判が成人同様完全に公開されたとすれば,少年が社会復帰する際,少年院帰りというレッテルを貼られ,社会に順応することができず,再び非行に走り少年院へ逆戻りするという悪循環になる恐れもある。22条2項による審判の非公開や,61条の出版物への指名等の公開の禁止はこういった観点から定められたものであろう。確かにそう考えると一概に少年事件の審判公開がいいとは言えない。また,神戸事件においては家庭裁判所が医療少年院送致の決定について,その要旨を詳細に公表するという異例の措置を講じた。神戸家裁所長のコメントによると,正確な報道のための資料提供という観点から,少年事件の秘密性及び審判の非公開制の原則に反しない程度で決定要旨を公表したとのことである。しかし,これは一歩間違えば少年の社会復帰を阻害することにもなりえない。そこで,その他の対応として考えられるのが,今年(1998年)の8月から東京地検で始めた,被害者側への容疑少年氏名通知制度である。同様な制度は全国で26カ所の地・高検ですでに行われている。この制度は少年法61条には反しないものとされている。確かに,61条はマスコミ等での報道を禁ずるものであり,文言上一見何の問題もないように思われる。しかし,被害者側が容疑少年を知り,自らの心の内にしまっているならば何の問題もないが,ついうっかり口を滑らせてしまったり,故意に容疑者の情報を漏洩することがないとも限らない。故に,この制度についてはまだ改善の余地があると考える。被害者とはいえ,この制度の理念に反する行動をとった際は罰則を適用するなどしなければ,前述のようなことが起きないとは限らない。これは少年法61条に関しても同じことが言えるのではなかろうか。61条では容疑者に関する報道を禁じておきながら,何ら罰則がないために,昨年の神戸事件の際には『フォーカス』や『週刊新潮』により「少年A」の顔写真が掲載されてしまった。確かに報道側のモラルに任せるのが理想的ではあるが,現実問題としてそれが守られていないのだから,やはり何らかのサンクションを設定すべきだと考える。また,現行少年法ではあくまでも容疑者の保護のみをはかっているが,容疑者に人権があるのと同様被害者にも人権はあるのだから,被害者側の過剰な報道も規制すべきだと思われる。
また,インターネットという新しい媒体が生まれたことにより,この規制をかいくぐるようなことも行われた。インターネット(特にアンダーグラウンドのページ)では少年Aの顔写真はおろか,住所,氏名,電話番号も掲載されました。(顔は今でもコラージュ等であちこちに掲載されています。)このような新たな問題にも対応していかなければなりません。61上に関してはやはり改めて検討する件が多いように思います。
五、最後に少年法全体について考察を加える。なぜ少年法において少年はこのように保護されているのであろうか。それはその理念が保護主義にあり,パレンス・パトリエすなわち国親思想に基づくものだからである。つまり,非行の恐れのある少年に,国が親として,親らしい配慮を持って臨むことを少年裁判所に要請する理念である。少年は未成熟であり,是非弁識能力も不完全であるため,周囲の環境から多大な影響を受けてしまう。よって,有害環境の影響を受け非行に走った少年に,行為・責任を成人と同様に問い,その上で応報刑を科すことは出来ないのである。これは一見妥当であるように思われるが,少年法に守られているという意識が,少年をより非行へ駆り立てる恐れもある。少年法は制定された当時窃盗犯等を非行として想定していたのであろうが,現在少年犯罪が凶悪化,低年齢化している以上,ただ闇雲に保護するという考えは通用しないと思う。アメリカのように適用年齢を引き下げたからといって,即犯罪抑止に繋がるとは思わないが,厳しい態度を持って少年に接することで,彼らは初めて自分が犯した罪の重さを理解するだろう。厳罰化は一見少年の人権を侵害しているかのように見えて,実際は少年への教育すなわち社会への適応力を身につけさせることにより,長い目で見ると人権を保護したことにもなるのである。よって私は検察官関与・刑罰対象年齢の引き下げ・少年審判公開を行う方向で少年法を改正することに賛成である。
以上より冒頭の結論に至った。
参考文献
藤本哲也「刑事政策概論」〔全訂版〕青林書院
『法学セミナー』98・1日本評論社